だるままどか(座長/代表)

20210107-044952.jpg

奈良県大和高田市在住。劇作家。演出家。

1988年~1995年迄 新劇演出家に師事。
1993年、演劇を軸とする多種表現者集団「夢歩行虚構団」を結成。脚本・演出/主宰。現在も継続。
全国の演劇公演や、パフォーマンスアート、企業ショー、地域行事 等の、企画・構成や演出、作劇を行う。
主宰劇団の他に、劇作家・演出家としてレギュラー参加のユニット多数。
“ソーシャルキャピタル”の再構築、もしくはその新たな産出の模索、を念頭に置き、都会型創作に拘らず、地方での多様な創作活動に力を入れ、規模の大小を問わず、あちこちで芝居を打ちまくる。

愛煙家。愛飲家。反戦。反差別。非暴力/不服従。クィア。

■Facebook https://www.facebook.com/daruma888888
■Twitter https://twitter.com/OWL888888

--------------------------

僕は、劇団の外でも、沢山の芝居を打ちます。(ストレートプレイだけではなく、朗読や朗読劇も含めて。)
多作であることが、質を低めることになるのは厭なので、どんなことをしてでも、己で定めた基準を越えて行きたいと思っています。
死に物狂いで打つ。…と、決めたので、僕は決めたことを冷静に、能動的な熱意を込めて実践します。
ここ数年、奈良県で沢山打っています。もう少し、これを継続します。いつまで、と決めているわけではないので、しばらくはこのまま。
沢山打つ「意味」も「意義」も、僕は持っています。だけど、それは僕の「勝手な話」なので、取り立てて公にしたいと思っていません。
ただ、淡々と打ち続けて、淡々と作品を創っていきます。
誰の為、何の為、を言い出すのは好きではないし、何より「僕の為」なので、気兼ねなく打ち続けます。

気軽に、気楽に、平易に、打てるものではないなァと、齢を重ねるごとに思うようになりました。
年齢年齢ごとに、出来ること・出来ないことがあるのも、痛感しました。
今の僕に「出来ること」を大切に、一本一本、真摯に創っていきたいです。

泉が枯れるまで。熱が冷めるまで。目が醒めるまで。何かを犠牲にしてでも、打っていこうと思います。
目的の向こうにある光を見つめて。未来を見据えて。遠くを睨んで。

これを「手段」にする程、どうやら僕は、芝居と乾いた関係ではないようです。
誰の為を語らず、何の為を語らず、「作品の前にひれ伏す」僕でありたいです。

僕は、「僕が一人で為したいこと」、として芝居を位置づけていません。
僕は、僕が「世界」と成したいこと、として芝居と向き合い続けて来ました。これからもそうでしょう。

僕にはてんで功名心がありません。王様にも、天狗にも、悪魔にも、鬼にもなりたくはないです。だけど、そのどれで呼んでもらっても、特に困りません。
僕は、作品が形を見せ始めた途端、産み・育てた時間を忘れて、そこに跪きます。そこに僕の「名前」があるかどうかなんて、どちらでもかまいません。
大切なのは、「作品」が「成る」ことです。成ったもの、こそが作品で、それに「ひれ伏すこと」が出来なくなれば、僕は芝居をやめます。

そう考えているので、どこで打っても同じです。都会には都会での「売り方」があり、地方には地方の「売り方」があるのは事実です。
だけど、「創って・打つ」のは、どこでやっても同じなのです。「作品」に、都会性も地方性も、ありません。

僕は、僕がチームリーダーをする場合だと、「公演の態を成す」ことを最低限は考えますし、出来れば皆の懐から血を流れることを減らしたいと考えます。
が、「創って・打つ」ことから主眼はぶれないので、製作眼のようなものは、時として邪念や雑念のように感じることもあります。あくまで僕にとって。

僕は今年も、沢山打ちます。打って打って、打ちまくって、見えて来るもの、わかっていくこと、を、心の中で愛撫します。そうやって強化して、積み上げます。

シバイウチが、シバイを打つことに、説明は大して要らないなァと、「なんで芝居やってるん?」と尋ねられなくなってきた今、ようやく思います。

1988年から舞台に関係した僕は、芝居と向き合って、やっと30年を越えました。
僕はまだまだ坊やです。坊やですが、「何故」を求められることのない年齢にはなったようです。これからは「如何に」をひたすらに追求できそうです。

【2019年・記】
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。